僕の発命ストーリー

このページでは、下記のように、

僕が「自分の発命ストーリーを見つける」までの試行錯誤のエピソードを載せています。 

・受験戦争・資格戦争を経て、念願の「発明ストーリー創り」の仕事に辿り着いた話

・仕事に違和感を持ち、自分の「使命・ビジョン」を追い求めた話

・出世競争に挫折して大暴走し、家族がいるにも関わらず会社を辞めてしまった話

・「自分のビジネスのカタチ」を1年模索するも見つからず、起業で失敗した話

・人間関係が悪化して「社会不安障害」を発症。薬とマスクなしでは人と会話できなくなった話

「人のいいところを探す」マネジメントをしてたら、薬依存から脱却できた話

・社会不安を抱えながら管理職試験に挑戦して挫折した話

人生ストーリーを紐解き、「自分の発命ストーリー」が見つかった話

これらの話は、「あなたの発命ストーリー」を見つけるヒントになっているので、                        ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです。 

 

「最高の未来」に導く発命ストーリー

発命ストーリーとは、

あなたの「いのちが発動する人生ストーリー」

あなたの「最高の未来」が見つかる方法

あなたを「最高の未来」に導く「あなたの剣(道)」が見つかる方法

のことです。

僕は、「発明ストーリー創り」という仕事で20年近く発明の本質を発掘し続けてきましたが、

ある時、

発明と人の本質は同じ

ということに気づき、

発明ストーリーの対象を、「発明」から「人」に拡張解釈することで、

「発命ストーリー」という概念が生まれました。

発明というのは、本質の光を見つければ、本来の輝きを取り戻します。

これと同じように、

人というのは、本質の光を見つければ、本来の輝きを取り戻します。

そして、

人の本質の光とは、

「心に火が灯る最高の未来」

「そこに辿り着くための剣」

のことです。

人は、明るい未来がないとダメなんです。

人は、明るい未来がないと、どんどん欲にまみれ、

サバイバル競争にどっぷり浸かり、

周りを敵視し、

窮屈さや息苦しさを感じて、

疲弊していきます。

逆に、

人は、自分が心の底から行きたいと願う未来や、憧れる人や、理想とする世界があれば、

情熱の炎を燃やして、イキイキと輝くようになります。

なぜそんなことが言えるのかというと、

僕が、実際そうだったからです。

僕は、自分の使命やビジョンを15年求めてきましたが、

それが見つからずサバイバルな出世競争に身を置いてきました。

「自分がどこに行きたいかは分からないが、とりあえず目の前の人たちに勝ちたい」

そう思って、頑張ってきました。

その結果、どうなったか?

周りを敵視して、人間関係が悪化して、社会不安障害を発症しました。

僕は、10年かけてようやく自分の人生ストーリーを紐解き、ようやく、

自分の本質の光である「最高の未来、理想世界、ビジョン」を見つけることができました。

「そこにたどり着くための自分の剣」も見つけることができました。

僕は、その最高の未来をイメージすると心が温かくなります。

ポカポカしてきます。

そして、僕の最高の未来とは、

「あなたの心に火が灯る最高の未来」を見つけること

あなたを最高の未来に導く「あなたの剣(道)」を見つけること

僕の剣とは、

「発命ストーリー創り」

です。

では、

僕は、どうやって、自分の発命ストーリーを見つけることができたのか?

これから僕の人生ストーリーを語っていきたいと思います。

発明ストーリーとの出会い

僕は、小さい頃から、受験戦争をしてきました。

そして、何度も何度も挫折をしてきました。

苦労の末に、何とか大学に入ったのですが、

わずか1ヶ月後には5月病になりました。

その理由は、受験という「人生の目標」を失い、

何をしたらいいのかわからなくなったからです。

しかも大学生ってとてつもなく暇なので、

時間をどう使っていいのかわからなくなったからです。

僕は内向型なので、

サークルにも行かなくなりました。

大学にもほとんど行かなくなっていました。

家庭教師のバイトをしながら、

試験前だけ勉強をする、という生活をしていました。

僕の大学は、2年生になったら学科を選択するのですが、

当時は情報通信の分野が熱かったので、

「将来食いっぱぐれることがないだろう」という打算的な目的で

「情報工学科」に進学しました。

そして、情報工学科での生活が1年経過しようとしていた頃に、

友人から、

「弁理士という資格があるんだけど、一緒に受けてみないか?」

と誘われました。

当時、僕は

「自分は研究開発の道に進むんだろうな〜」

と漠然と思っていたと同時に、

「自分は研究開発には向かないのかも」

という不安もありました。

なので、

すぐに「弁理士」という職業を調べてみたところ、

「発明を特許にする仕事」

「資格を取ったら年収は1億円を超える」

みたいなことが書かれていて、

キャッチーなコピーに惹かれました。

「これは熱いぞ!」

「めちゃめちゃかっこ良さそう!」

と感化され、

すぐにLECという受験予備校に通うことにしました。

単純です(笑)

そこから、新しい人生の目標を手に入れ、

水を得た魚のように、

毎日毎日、弁理士の勉強をする生活が始まりました。

ところが、

僕は、この弁理士試験でかなり苦労をすることになります。

僕は、なかなか試験に合格することができなかったので、

弁理士試験の勉強をしながら、

大学院に進学する道を選びました。

そして、しばらくすると就職活動が始まりました。

就職活動では、特許の仕事を希望していたので、

企業の知財部を志望していました。

当時は、インターンシップに参加することができれば、

ほぼ内定はもらえる、という前情報をゲットしていたので、

希望する企業のインターンシップに参加し、

媚を売りまくりました(笑)

その結果、希望する企業知財部への内定をゲットすることが

できました。

そして、

入社した年に、無事に弁理士試験にも受かることができました。

ようやく試験勉強から解放された!という喜びと、

将来への希望で胸がいっぱいになりました。

入社した会社はプレゼンを重視する会社だということもあって、

プレゼンや人前スピーチをする機会がたくさん増えました。

僕は、人前で話をすることがとても苦手だったので、

失敗するごとに悩みが増えていきました。

何ヶ月も先のスピーチに対して、

憂鬱になったりしていました。

人前で緊張しない自己啓発本を何冊買ったことか。

(しかもどれも僕には効果がありませんでした。。。)

僕は、プレゼンや人前スピーチで悩みを抱えていましたが、

唯一と言ってもいいくらい楽しいと思える仕事がありました。

それは「発明ストーリー創り」という仕事です。

「発明ストーリー創り」というのは、

エンジニアが考えた発明アイデアをブラッシュアップして

強い権利にしていく仕事です。

発明者の中には、自分が考えたアイデアの素晴らしさに

気付いていない人も結構いて、

そんな人のために、発明の本質を発掘して、

その発明の本質の魅力が伝わるようなストーリー創りをする、

という仕事です。

そして、僕は発明ストーリー創りという仕事が大好きでした。

エンジニアに質問をしながら、発明を整理していき、

発明の本質の核を見つけた瞬間、

その本質から1本の綺麗なストーリーが出来上がる瞬間、

そして、それを聞いたエンジニアが喜んでくれる瞬間、

が最高でした。

自分の使命・ビジョンって何だろう?

僕は、発明ストーリー創りが一生の仕事になるんだろうなと

思っていたのですが、

入社して4年目くらい経過した時に、ふと、

「果たして自分の仕事は世の中の役に立っているのだろうか?」

「技術や産業が発達することが自分の理想世界なのか?」

「そもそも自分の存在意味は何か?」

「自分のビジョンって何なんだろう?」

「自分の使命って何なんだろう?」

「自分が大事にする価値観って何だろう?」

「自分は、ストーリー創りは好きだけど、技術にはそこまで興味がないかも」

という疑問や思考が湧いてきました。

このときは、未だ自分の理想世界はわかっていませんでしたが、

「発明ストーリー創り」という道は、なぜか

「自分の理想世界とは繋がっていない」

ような気がしてならなかったんです。

そこから、

自分の使命・ビジョン・天職を求めるようになりました。

本屋に行き、関連する本を読み漁るようになりました。

それでもなかなか見つかりません。

「輪廻転生」

「潜在意識」

「瞑想」

みたいなスピリチュアルな本も読むようになりました。

「使命が見つかる」○○セッションみたいなものにも参加

したりもしました。

そこで色々な驚き体験をしました。

「目に見えない世界っていうのもあるんだ。。。」

「すげ〜!」

と感動したりもしました。

ですが、

自分の使命、ビジョン、天職に関しては、

全く見つかりませんでした。

そんな時に、セッションの先生から、

「あなたがやりたいことに近い人がいるので、見てみて」と、

ある方を紹介してもらいました。

その方は、ネットビジネスで成功している人で、

「メール1通で2億円を稼ぎました」

みたいなことをブログに書かれていている人でした。

「本当かよ」

とは思いましたが、

「文章という武器で、

 好きな時に好きなだけ稼ぐ自由な生活をする」

という世界観に惹かれ、

興味本位でその人のセミナーに参加してみました。

僕は単純なんです(笑)

そして、そのセミナーで、

「セールスレター」というものに出会いました。

セールスレターとは、

物やサービスを売るためのストーリーのことで、

すごい人だと、

1つのセールスレターで何億円も売り上げる人がいて、

それは嘘じゃなかったんだ、

すごい世界だなと思いました。

僕は小さい頃から、

漫画、アニメ、小説、映画、海外ドラマ、といったストーリーを

楽しむのが好きで、

仕事でも発明ストーリー創りが好きなので、

「ストーリー」というものにものすごく心が惹かれます。

そういったこともあって、

「ストーリーライティングのスキルを習いたい!」

と思いました。

そして、

その人からストーリーライティングスキルを学び、

ストーリーライティングの奥深さと、

彼らのプロフェッショナルな姿に魅せられました。

ストーリーライティングのスキルを上げるために、

神話を学んだりしました。

そして、

「いつか自分もストーリーの力で食べていきたい」

と思うようになっていました。

出世競争に挫折して大暴走

少し時間は遡りますが、

僕が発明ストーリー創りの仕事に違和感を感じている時に、

労働組合からお誘いがありました。

「労働組合の執行役員をやって欲しい」

まさに青天の霹靂でした。

僕の職場では、組合役員の方がいたのですが、

その方は、定時までは通常業務をし、

定時後に組合役員の仕事をしていて、

毎日夜遅くまで働いていたのを間近で見ていたので、

お誘いの話を聞いた時に、

「絶対やりたくない!」

と思いました。

その後、職場の上の人からも説得され、

組合役員の上の人からも説得されました。

「拒んだら出世競争に響くかも」

と思い悩みました。

その日の夜に、実は吐いた記憶があります(笑)

散々悩みましたが、

当時は自分のキャリアに悩んでいたこともあり、

「とりあえずやってみよう」

と決断しました。

 

労働組合の仕事をするようになってから、

毎日夜遅くまで仕事をするようになったのですが、

実は、充実していました。

それは、

「組合員の心に火を灯す」

「組合員のモチベーションを高める」

という労働組合の使命に共感できたからです。

だから忙しくても全く苦になりませんでした。

むしろ、

特許の仕事は一人でもできる仕事ですが、

組合の仕事は、他の人と協力しないとできないため、

楽しんで仕事ができていました。

これは労働組合に入ってから気付いたことなのですが、

僕の会社では、労働組合の地位・権力はものすごく高く、

普段の仕事をしていたら出会えないような偉い人やすごい人と

出会いました。

そして、

組合役員の中でも役職があり、

上の役職になればなるほど、与えられる権限は大きくなって

いきます。

そのため、

いつしか自分も出世したいと思うようになっていきました。

そして、僕は、頑張って、

4年間で副委員長にまでなりました。

「もしかしたら委員長になれるかも」

と淡い期待を抱く一方で、

自分が委員長の器ではないことは何となく感じていました。

なぜならば、

委員長になったら色々な権限を得られる一方で、

人前でのスピーチをしたり、

会社の偉い人と経営について話をしたり、

接待のような飲み会をしたり、

と、自分が苦手なことが増えていくからです。

そして、僕は相変わらず、

人前スピーチはトラウマになるくらい苦手だったし、

そもそも労働組合の仕事の全てにコミットしているわけでは

なかったからです。

さらに、この時は、

セールスレターの勉強を始めた時期であったこともあり、

ネットビジネスで自由に仕事ができたらいいなと思っていた

時期でもありました。

そんなことから、

労働組合の仕事への熱は徐々に冷めていきました。

「委員長なんかやりたくない」

「早く組合を退任したい」

そんな風な言葉を周りに吐くようになりました。

そして、仕事もサボるようになりました。

周りも僕のそんな雰囲気を感じとっていたのだと思います。

そろそろ次の体制を検討する時期になった時に、

委員長から呼ばれ、

「あなたは来年の体制から外れる」と言われました。

要は、戦力外通告です。

僕は、望み通り、労働組合を辞められることになったわけですが

なぜか、かなりショックを受けました。

僕は、これまでの自分が全否定されたように感じ、

この現実を受け入れることができませんでした。

僕はこのときに初めて

「僕は本当は委員長になりたかったんだ」

という自分の本音に気づきました。

(委員長という肩書き・地位・権力に憧れていたわけです)

 

そして、この時は気付いていませんでしたが、

「出世できなかった恥ずかしい自分」

というものを、僕は受け入れることができませんでした。

この時、僕の中でアイデンティティクライシスが起こりました。

出世競争に敗北した情けない自分を直視できませんでした。

僕は、その現実を受け入れることができず、大暴走しました。

「どうせもうすぐ引退するんだから」

ということで、モチベーションが全てなくなってしまいました。

これまで納得できていなかった組合活動に対して、

批判的な態度を露骨に出すようになっていきました。

挙句に果てには、

最後の退任式をブッチする、という暴挙に出ました。

(本当にごめんなさい)

組合を退任した後、職場復帰することになりましたが、

僕の中では「組合員の心に火をつける」という組合の仕事が好き

だったんだ、という想いにも気づきました。

(時すでに遅しです)

そして、この時には、

発明ストーリーへの熱は完全に冷め切っていました。

さらに、

職場復帰するときに、

権力を失った恥ずかしい自分を職場の人に見せるのも怖かったんです。

そういったこともあって、

人生で大きな決断をしました。

自分のビジネスのカタチって何だろう?

正直、このときには、

自分のビジネスのカタチとセールスレターは未だに完成していませんでした。

しかし、

家族全員で1年間くらいは過ごせる貯金はあったので、

1年間あれば自分のビジネスのカタチを見つけ、

軌道に乗せるくらいは何とかできるだろう、と思い、

会社を辞めることにしました。

上司や周りの人には散々止められましたが、

当時は、「被害者意識が全開」だったので、

何としてもこの会社から逃げ出したくて、

周囲の反対を強引に振り切りました。

僕の決断に何も言わずに付いてきてくれた

奥さんには感謝しかないです。。。

会社を辞めた直後は、会社から解放された喜びでいっぱいでした。

しばらくゆっくりした後に、

自分のビジネスのカタチを見つけるため、

セールスレターを書く日々が続きました。

ところが、

作っては消し、作っては消し、の繰り返しで

一向に前に進みません。

「そもそも俺の付加価値ってなんだろう?」

「俺は何を売りたいんだ?」

(そこが固まっていなかったので、セールスレターが書けるわけありません)

1年間模索しましたが、

とうとう完成させることができませんでした。

自分のビジネスのカタチも分かりませんでした。

後半はもう諦めてゲームしていました。

子供が小さかったので、午前中は子供と公園で遊び、

帰ってからはゲームをする、

というニートのような生活をしてました(笑)

そして、そろそろ貯金が尽きそうになってきたので、

転職をすることにしました。

就職活動ではいくつか内定をもらいましたが、

やっぱり安定した企業とそれなりの収入がある会社がいいと思い

再び知財業界に転職することにしました。

このとき、

弁理士資格のメリットを初めて実感できました。

ただ、会社を辞める時に、同期には

「もう2度と同じ業界には戻らない」

と豪語していたので、

「有言不実行なこんな恥ずかしい自分を同僚には見せられない」

とも思っていました。

社会不安障害の発症

新しい会社では、

再び、発明ストーリー創りの仕事をすることになりました。

上司が厳しかったこともあり、

発明の本質を捉えていないストーリーを創ると

ダメ出しをくらって、何度もやり直していました。

毎日毎日、

発明ストーリーを創り続けていました。

「どうすれば発明の本質を引き出せるか」

「どうすれば発明の本質が際立つストーリーを創れるか」

こればっかりを考えていました。

毎日ダメ出しをくらい、やり直すことで、

徐々に感覚が研ぎ澄まされていき、

ダメ出しを喰らう回数は徐々に少なくなっていきました。

最終的には、

発明の本質を引き出す真髄を掴み、

事業に貢献する発明を何度も生み出すことに成功しました。

発明の本質を引き出し、

ストーリーとして再構築することで、

発明に「いのちが宿る」感覚を何回か味わいました。

この感覚を持てた時は、

発明者は笑顔になるし、自分も嬉しくなりました。

この感覚がたまらない。

「自分の天職は、発明ストーリー創りだ」

と思うようになりました。

仕事の成果も周りに認められるようになり、

部署で表彰されることも増えてきました。

仕事で成果が出るにつれて、

「自分はもっと認められるべきだ」

と思うようになっていきました。

「もっと出世したい」

とも思うようになっていました。

そんなことから、

少しずつ、自分の中で自己顕示欲が暴走していき、

周囲に対するライバル意識も強くなっていきました。

誰よりも仕事ができる自分でいなければ、

自分の存在意味・存在価値はない、

とまで思うようになっていました。

だから、圧倒的な仕事の成果を出すために、

毎年毎年、自分の限界を超える目標を設定し、

それを気合いで達成していく、という生活を

4年くらい続けていました。

そして、通勤時間も長かったことから、

電車で座るために毎朝5時に起きる、という生活を

続けていました。

それに加え、

「周りは敵だらけの会社生活」です。

 会社で孤立していました。

どれも精神的にしんどかったですが、

何とか気合いで乗り切っていました。

周りにバカにされないために、

自分を大きく見せて自分の優位性を周りに示し、

地に足つかない言動をする日々が続き、

少しずつ精神的に追い込まれていきました。

そんな生活をしていたある日の飲み会で事件は起こりました。

突然、

目の前が歪みました。

ゆっくりと自分の顔が歪んでいくのがわかりました。

みんなからの視線を感じるが、

自分の顔の歪みを制御できない。。。

自分が何を喋っているのかわからなくなりました。

自分の顔を何とかしたい。

その場をやり過ごしたいが、どうすればいいかわからない。

どうしたらいいかわからず、トイレに逃げ込みました。

トイレで気持ちを整えて、

その場は何とかやり過ごすことができました。

何が起こったのか全くわかりませんでしたが、

次は、会社での昼食時に起こりました。

昼食時に、自分がいじられることがありました。

いつもなら、笑ってやり過ごすところでしたが、

その日はそれができませんでした。

作り笑いをしようとしたときに、

前と同じように現実が歪みました。

前と同じ発作が始まった!とすぐに感じました。

みんなに注目されているけど、作り笑いした顔が戻らない。。。

顔が歪んでいくのがわかりました。

みんなの視線が怖い。

近くにトイレもない。

もう顔を隠すしかない、と思って、

昼食中なのに、うつ伏せになって顔を隠し、

その場をやり過ごしました。

周りから見たら、

異様な光景だったと思います。

この発作がどういう時に起こるのかわからなかったですが、

この日以降にも何度も起こりました。

流石にやばいと思い、心療内科に行ったら、

「社会不安障害」と診断されました。

僕は、人の視線が怖くなっていました。

「マスク」が必需品になりました。

そして、

「薬」も必需品になっていました。

(止め時がわからず、1年半以上服用していました)

いいとこ探しで、「薬依存」脱却

社会不安障害が発症した後、すぐに昇格することになりました。

(まじか、、このタイミングでか!?って感じでした)

その結果、マネジメントの業務をやることになりました。

これまでは自分が頑張れば成果を出せましたが、

これからは、チームの成果が自分の成果になります。

だから、

自ずと自分の仕事の仕方を変えざる負えませんでした。

人生で初めて、

他人にリスペクトの気持ちを持つようになりました。

日々の仕事に対する感謝を伝えるようになりました。

僕は、チームのリーダーとして、

自分たちチームの存在意味を作るために「知財戦略ストーリー」を

創りました。

チームメンバー一人一人の強みと弱み、

各自のやりたいことを把握し、

各自の使命感に火を付け、

各自の強みが発揮できるように、

知財戦略ストーリーに沿った仕事を割り振るようにしました。

そうすると、少しずつ

チームにいのちが宿っていくのを感じました。

最後にはチームの士気は爆上がりし、一体感を感じました。

その瞬間、

自分の心の壁が温かい光で溶けた感覚を感じました。

それまでは、

まともに人の目を見ることすらできなかったのですが、

この成功体験が生まれた後には、

人の目を見て会話ができるようになっていたんです。

マスクをしなくても大丈夫になりました。

そして、

気付いたら、止めるのが不安で、

1年半以上服用していた薬依存から脱却できていました!

(これが一番驚きました)

そして、

当然の如く、仕事でも圧倒的な成果を出すことができ、

のちに社長表彰をもらいました。

再び、出世競争で挫折。背水の陣

僕は、チームで仕事をするようになってから、

めちゃめちゃ成果が出るようになっていました。

そんなこともあったのか、しばらくして上司から

「管理職試験を受けてみないか?」

と誘われました。

ここで、社会不安障害の悪夢が蘇りました。

なぜなら、

試験は、人前での実技になるからです。

僕が最もパニックになるやつです。

「試験が怖い。」

「自分は本当に管理職になりたいのか?」

「地位や権力が欲しいだけなのでは?」

「これ以上しんどくなるのは嫌だ。」

「自分には向いていない。」

「管理職になるメリットは、自分の承認欲求が満たされるだけ」

色々な思いが溢れ出てきました。

「では、もしも管理職試験を受けないとした場合に、

 今後どういうキャリアを描いていきたいのか?」

「う〜ん。。わからん。。。」

「そもそも僕は、自分のビジネスのカタチを知らない。」

「自分のビジネスのカタチを知りたい!」

そういう思いが込み上げてきました。

自分のキャリアに悩んでいたこともあって、この時期に、

ビジネスのセミナーに申し込むことにしました。

そこで学んだことはたくさんありましたが、一番響いたのは、

人生ストーリーは唯一無二の武器になる

ということでした。

実は、これよりも6年くらい前に、

人生ストーリーがビジネスに役に立つことについては

知っていたので、

自分の人生ストーリーの探求自体はずっとしてきたのですが、

このセミナーでは、

・人生ストーリーのパワー(神秘性)

・それをどうやって紐解くのか

・ビジネスにどうやって展開するのか

といったノウハウまで学ぶことができました。

僕はストーリーにすごく魅せられていたこともあって、

そこから、本格的に、

自分の人生ストーリーの探求が始まりました。

そして、少し話はそれますが、

僕は、社会不安障害を発症していた時に、

「心の平穏(社会不安の完治)」

を無性に求めていました。

そんな時に、

心の教科書といわれる「古事記」(言霊学)と出会います。

「古事記は、心の構造を解き明かした世界で唯一の文書だ」

「古事記は、全てのストーリーの原点・雛形だ」

ともいわれています。

僕は、

「社会不安を完治させたい」

「人生ストーリーを解き明かして、自分のビジネスのカタチを見つけたい」

という思いが非常に強かったので、

古事記と人生ストーリーの探求に夢中になっていきました。

いよいよ管理職試験が近くなってきた頃には、

自分のことがある程度わかってきたので、

「自分は管理職には絶対向いていない」

と思いつつも、

「試験に落ちるのだけは絶対嫌だ」

と思うようになっていました。

だから、試験勉強だけはしました。

その甲斐あって、

試験の直前にはそれなりの手応えを感じていて、

「まあ落ちることはないだろうな」

と思っていました。

試験が無事に終わってから数ヶ月経った頃に、上司から結果を聞かされた時は、

目の前が真っ暗になりました。

「落ちてた。。。」

あまりにもショックで、

しばらく何もできませんでした。

過去一番くらいにショックでした。

昔にも同じくらいショックな出来事はあったと思うのですが、

大人になってから試験に落ちる、

という体験をしばらくしてこなかったというのもあって、

久しぶりにこたえました。

これまでの自分の全てが否定されたように感じました。

「これまで一生懸命頑張ってきて、多くの成果を残してきたのに、

 なんでこんな仕打ちをされないといけないんだ」

と、暴走モードになりかけていました。

僕が、暴走モードになりかけていた理由は、

「出世競争に挫折した恥ずかしい自分」というレッテルを

無意識で自分に貼っていたからです。

そして、

僕は、この事実を受け入れることができませんでした。

これからどうしていけばいいのだろう。

自分が落ちたことは噂ですぐに職場に広まっていくだろうし、

どうしよう、と思うようになりました。

僕の会社では定期的に異動・ローテーションがあり、

僕はずいぶん長く同じ職場にいたこともあって、

タイミング的にちょうど異動する時期でもあったことから、

自分の今後のキャリアについて余計に焦りました。

今の職場はどうしても居づらいので、

転職をしようかと何度も思いました。

転職サイトにも登録して、

いくつかお誘いを頂いたりもしました。

しかし、どうして過去の記憶が蘇ります。

大暴走して会社を飛び出して見事に失敗した記憶です。

今のまま会社を飛び出しても

再び、同じことを繰り返すことになるということが、

無意識ではわかっていたんだと思います。

だから、

自分のビジネスのカタチが何もわかっていないのに、

今の時点で転職する、という選択肢を

どうしても選ぶ気になれなかったんです。

 

僕は、この時点で人生ストーリーを探求し始めてから

既に9年が経過していました。

「このままダラダラ死ぬまでこれを続けるのか?」

「いい加減、終わらせないとヤバい。。。」

背水の陣に追い込まれました。

しかし、

「いまだに自分のビジネスのカタチがわからない。。。」

今の職場で肩身の狭い思いをして働くのか、

別の職場に異動をするのか、

転職をするのか、

副業をするのか、

色々なことを考えなければならない事態に

追い込まれました。

  「いいかげん自分のビジネスのカタチを見つけないと。。」

そう思い、覚悟を決めました。

「今から3ヶ月で、自分の天職を見つけよう!」

「それが見つかったら、

 自分の今後のキャリアをどうするか決めよう」

ようやく心に火が付き、

これまで継続してきた人生ストーリーの探求を完成させることを決意しました。

発「命」ストーリー誕生

僕は、まず、これまで受けてきたセミナーの復習をすることにしました。

そして、人生ストーリーの最終仕上げに入りました。

仕事以外の時間は、

ほとんどセミナーの復習と自分の人生ストーリーの探求に当てました。

毎日毎日A4ノートに気付いたことや学んだことを書きながら、

自分のこれまでの人生ストーリーで起こった出来事を1つずつ

思い出していきました。

その時に何を思ったのか、

その時に何を感じたのか、

思考や感情も思い出しながら

ノートに記録していきました。

人生ストーリーの探求と合わせて、

古事記の勉強にもより一層力を入れました。

なぜならば、この時既に、

「古事記と人生ストーリーとの間には大きな繋がりがある」

ことが見えていたからです。

だから、古事記の研究にも熱が入りました。

古事記と人生ストーリーの対比をする作業を続けていくうちに、

「2つは、見事なまでに一致している」

と感動しました。

本当に素晴らしい発見でした。

この作業によって、

過去と現在だけでなく、未来を含めた人生ストーリーの全体像が見えてきていました。

 

人生ストーリーを紐解くうちに、

自分のビジネスのカタチが少しずつ見えてきました。

なので、

少しずつ副業の準備をしていました。

でも、

「何かが足りない」

「どこかしっくり来ない」

「まだ心のモヤモヤが残っている」

「窮屈感や息苦しさも残っている」

こんな感じがずっと続いていました。

そんな時に、

ある方にコンサルしていただきまして、

その時に気付かされたことがあります。

それは、

僕はずっと「社会からの抑圧を感じていた」

ということです。

このことに気づいた後、

これまでの人生ストーリーで起こってきた僕の問題のカタチが

少しずつ見えてきました。

それは、

僕はずっと「苦手な人を拒絶していた」

言い換えると、

僕はずっと「社会(他人)を拒絶(他責)していた」

これが僕の問題のカタチなのだと気づきました。

人前でスピーチやプレゼンするのが苦手なのも、

出世競争に挫折して大暴走をしたのも、

会社を辞めて、ネットビジネスに逃げたのも、

社会不安障害を発症したのも、

管理職試験に落ちて絶望したのも、

すべて僕が「社会(他人)を拒絶していた」ことが原因だった

のだと腹落ちしました。

つまり、

違和感の原因は、僕自身が

「社会を拒絶する(被害者意識)ステージ」にいた

ことだと気づきました。

 

自分の問題の本質が見えてきたので、

もう少し掘り下げていきました。

僕は、小さい頃、

「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんに愛されたい・喜ばれたい」と思っていました。

そして、期待に応えるために、

「社会的評価を”得なければならない”と思っていました。

そして、

「いい学校に”入らなければならない”」

「いい資格を”取らなければならない”」

「いい会社に”入らなければならない”」

と思うようになっていきました。

会社に入ってからは

「出世競争で”勝たなければならない”」

そのために、

「上司から”評価されなければらない”」

と思うようになっていきました。

「上司から評価されるためには、

 ”周りよりも優れていなければならない”」と思うようになり、

「周りは敵だ」と思うようになっていきました。

そして、

「『攻撃してくる他人』は自分の評価を下げる敵だ」

「『ダメな自分』は自分の評価が下がるので受け入れられない」

と思うようになり、

「攻撃してくる他人」と「ダメな自分」を無意識で拒絶するようになっていきます。

「出世競争に負けた恥ずかしい自分」を受け入れられない、

「出世競争に負けた恥ずかしい自分を刺激してくる他人」を

受け入れることができない、

という状態です。

人前でのスピーチやプレゼンが怖くなったのも、

自分の醜態を晒す可能性があるので、

ダメな自分を見たくない、攻撃されたくない、という潜在的な思いがあるからです。

そして、それらが悪化して、

「社会不安障害」を発症する事態になりました。

つまり、

問題の本質は、

「〜しなければならない」(have to)という

「自分を呪縛する監視カメラが作動」し、

「社会(他人)を拒絶するようになることです。

 

僕の問題の本質が見えてきたら、

僕の人生でのテーマが何となく見えてきました。

それは、

「自分を呪縛する監視カメラ」の監視

「社会(他人)との一体感」

です。

要は、

「自分が悪い方向に行かないように自分で自分を監視する」

 (窮屈感を感じている=「〜しなければならない」と思っている)

「他人をリスペクトし、他人の光を見るようにする」

この2つが僕の課題だと気づきました。

僕が成功体験と呼べるものは数少ないですが、

1つは、

「社会不安障害の克服(OneTeamストーリー創り)」です。

もう一つは、

「人前スピーチ・プレゼンでの恐怖克服」です。

この2つの成功体験に共通する条件は、以下が揃うことです

・相手(聴衆)をリスペクトしていること

・相手(聴衆)の強みが発揮される、幸せな理想世界をイメージできること

・現在と理想世界とを繋ぐストーリーが見えること

これは、人生のテーマで見えた

「他人をリスペクトし、他人の光を見るようにする」

に繋がります。

そして、この3つの条件は、

発明ストーリーを創る過程と全く同じだということに気付きました。

発明のポイントを見つけ、

発明の効果・メリットを明確にし、

それらを繋ぐストーリーを創る

つまり、

相手の強みを見つけ、相手をより良い未来に導くことが、

僕の成功法則であり、僕の剣である。

これに気づきました。

そして、

「相手の本質の光を発動させ、

 より良い未来に導くストーリー創りをしたい」

という自分の想い(「want to」)が見つかりました。

自分の問題の本質、人生のテーマ、自分の成功法則(剣)が

明確になった時、

「あれ、これって発明ストーリーの型と同じじゃん!」

 

ということに気づきました。

衝撃でした。

発明ストーリーの型は、下記です。

・従来技術の問題

・技術課題

・解決手段

・発明の効果

一方、僕の人生ストーリーの型は、下記です。

・問題の本質

・人生テーマ

・自分の成功法則

・ビジョン

全く同じ構造だということがわかると思います。

そして、もう一つ衝撃がありました。

これらは、古事記の型とも同じなんです。

(むしろ、古事記が先で、

 人生ストーリー、発明ストーリーに応用展開されている)

僕の中で、

発明ストーリーと、人生ストーリーと、古事記とが、

見事に繋がりました。

そして、

人生ストーリーを、発明ストーリーと古事記を参考に整理して

みたら、見事に1本の綺麗なストーリーに蘇りました。

これまで10年間できなかったのに。。。

ようやく自分の人生ストーリーを1本の軸(物語)で整理する

ことができました。

その時に思ったことが、

「人生ストーリーって美しい。。。」

でした。

「人生で無駄な出来事は一つもないんだ!」

「人生ストーリーは、まるで神様の設計図だ」

「人生ストーリーを紐解けば、神様からのメッセージがわかるんじゃね?」

と思ったのを今でも鮮明に覚えています。

これまでの人生での出来事を全て抽出し、

1つの物語として整理してみた時に、一番驚いたのが、

「物語は、全て闇が起点になっていた」

「闇のお陰」で物語が動いている 

ということに気付いたことでした。

過去のトラウマになるような闇の体験や失敗体験が、

後になって、

自分の成功体験や学びや教訓となり、

自分の人生の糧になっていることがわかりました。

ネガティブな出来事に直面している時には、

本当にしんどくて嫌になりますが、

長い目で見れば、必要な出来事だったんだな〜ということを

実感することができました。

僕は、自分の人生ストーリーを紐解くことで、

人生で最も価値のある「宝物」を見つけることができました。

(ここまで来るのに本当に長かった。。。)

それは、

イメージしただけで、心に温かいエネルギーが宿る

自分の本質の光です。

自分の愛のカタチです。

自分の魂のカタチです。

自分のお日様のカタチです。

自分の命のカタチです。

自分の心をあったかくするものです。

まさに、自分の心に「命」の火が灯った瞬間でした。

人生ストーリーに温かい命が灯り、

「発命ストーリー」に生まれ変わった瞬間でした。

僕の最高の未来

僕がこれからの人生で歩んでいきたいのは、

「発命ストーリー創りの道」

だということが明確になりました。

次に、

「この道のゴールは何?」

というのを具体的にイメージしてみました。

その結果、

僕が、人生ストーリーから見つけた最高のビジョンはこれです。

「すべての人の”心に温かい命が灯り”、

 世界が温かくなる」

言い換えると、

「社会不安が存在しない世界」です。

これは、自分が本当に辿り着きたい理想世界(「want to」)

です。

僕は、正直今でも戦争モードになったりすることがあります。

(特に仕事でプレッシャーを受けている時)

だけど、僕が戦争モードになった時に、

このビジョンをイメージすると、

心が温かくなってきます。

僕の「最高の宝物」です。

常にこのビジョンを思い浮かべていられる状態になること、

そして、このビジョンを実現させることが

僕の今の目標です。

そして、これが僕のミッションになります。

「あなたの発命ストーリーを一緒に発掘する」

 

 僕がこれまで研鑽を積んできた「発明ストーリー」の力

 僕がこれまで研究を続けてきた「人生ストーリー」の力

 僕がこれまで研究を続けてきた「古事記」の力

 これらを掛け合わせることで、

 僕は、あなたの命が発動するストーリーを発掘することができます。

 つまり、

 発命ストーリー=発明ストーリー✖️人生ストーリー✖️古事記

 となります。

そして、これが僕のコアバリューになります。

「相手の本質の光を発動させ、

 より良い未来に導くストーリーを創りたい」

もう二度と「周りは敵」と思いたくない。

もう二度と「人の視線が怖い」と思いたくない。

もう二度と「社会不安障害」を発症させたくない。

だから

「僕は、僕の周りの人の心に温かい命を灯したい」

「僕は、僕の周りの人をより良い未来に導く仕事をしたい」

そうすれば、

人を怖いとは思わなくなるから。

だから

「世界を温かくしたい」

これが

僕のコアバリューであり、

僕のモチベーションの源泉です。

僕の最悪の未来

僕は、「自分の心が温かくなる”発命の道”」を歩む、

という選択をしました。

だけど、もしもこの選択をしなかったら、どうなるのだろう?

と何度も想像してみました。

僕は「出世競争」(地位・肩書きを得る競争)で挫折した

わけですが、まだその道が完全に途絶えたわけではありません。

別の会社に転職をしてもいいわけです。

今の会社でも出世しようと思えば、できる可能性はあります。

だけど、

心の中は戦争モードのままです。

「周りを敵視」した状態です。

僕は、一番最初に出世競争で挫折した時には、

その事実を受け入れることができずに大暴走をしました。

心の中は戦争モードです。

当然、周りとの関係も悪化します。

人間関係がボロボロになりました。

そして、社会不安障害を発症しました。

もしも、僕が戦争モードから脱出できず再び出世競争をすれば、

必ずどこかで挫折します。

出世競争はキリがないので。

(仮に社長になっても、です)

そして、必ず同じ状態になります。

 

誤解をしてほしくないのですが、

僕は、出世競争自体が悪いとは思っていません。

組織の中で上に行けることで見えてくる景色もあるでしょうし、

能力・才能も覚醒すると思います。

現に僕もそのお陰で色々な宝物を得ることができましたから。

そうではなくて、

「心の中が戦争モード・サバイバルモード」だと、

周りとの人間関係で苦しみ、窮屈で息苦しくなる。

これが問題だということです。

それが定年まで続いたら、

と思うとゾッとしました。

さらに、

それが死ぬ直前まで続いたら、と思うと、ゾゾっとするし、

死ぬ前に絶対後悔すると思ったので、

僕は迷わず「心が温かくなる発命の道」を選びます。

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「自分の心に温かい命が灯るスイッチ」

を見つけなければなりません。

僕は、10年間の人生ストーリー発掘によって

ようやくこれを見つけました。

だけど、

僕は、試行錯誤を繰り返していたので、

かなり回り道をしました。

(ただし、それも必要な出来事だったと思っています)

皆さんが回り道をする必要がないように、

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